「ミャンマーで、戦場カメラマン、死亡」を聞いて想う、「重みある戦場からの報道」 | 大阪の片隅から「日本社会を変えたい!」と思い「こっそり」と叫ぶ。

「ミャンマーで、戦場カメラマン、死亡」を聞いて想う、「重みある戦場からの報道」

日々、デモが続くミャンマーで、つい先日、
「日本人の戦場カメラマン、長井健司さんが、軍の発砲で死亡」
という事件がありました。
日本政府は、昨日、
「高村外相を通じて、ミャンマーに、正式に抗議」
しました。
亡くなられた「長井健司」さんの母親によると、
「よく紛争地域に出かけていた」
という事です。
こんなことを言ってしまえば不謹慎かもしれませんが、
「亡くなられた長井健司さんは、職業上ある程度の覚悟は、

していただろう」
とは、思います。
戦場カメラマンとは、本当に壮絶な仕事です。
「何も、わざわざ、紛争地域に行かなくても」
と、思う方も、おられるでしょう。
しかし、これはきっと、
「私達には理解できない、戦場における何かを誰かに伝えたい」
という強い意志があると思います。
そして、これらの行動は、
「決して、ムダでは、ない」
と、思います。


話を別の地域に、移します。
「イラク」
の事です。
新聞を詳しく読んでいる方は、ご存知でしょうが、
「イラクでは、今でも日々、テロでイラク国民や米兵の死者が増え続けている」
のです。
「新聞を詳しく」というぐらいですから、
「日本では、イラク情勢は、あまり大きく伝えられていない」
のです。
これには、
「日本人そのものや、マスコミが、イラクに対して、関心を失ったから」
という理由が挙げられます。
しかし、別の事情としては、
「イラクでは、日本の大手マスコミの取材は、行われていない」
からなのです。
「でも、日本で見る映像やニュースは?」
というと、これらは、
「海外のマスコミが取材したもの」
なのです。
今私が知る限り、
「イラクにいる日本人は、ほぼゼロに近い」
だと、思います。
原因は、例の、
「日本人人質事件とフリージャーナリストの死亡事件」
が、きっかけです。

「自己責任」

などという言葉から、誰もイラクには、近寄らなくなりました。
だからといって、私達が、
「マスコミに、命懸けで、イラクに取材に、行って来い!」
とは、言えません。
「安全で、飢えも無く、平和な日本に暮らす私達が、
そんな事を言える立場では、ない」
のですから。
しかし、
「海外のマスコミは、イラクで取材を続けている」
のに、
「日本人は、イラク情報を、自前で得ていない」
ことを考えると、何やら情けなくもあります。


私達は、常日頃、
「大手マスコミが発信するニュースから情報を得ている」
のです。
しかし、遠いイラクの地での壮絶なテロの情報は、
「海外マスコミの、命懸けの取材の成果」
でもあるのです。
そして、他の紛争地域では、もしかすると、
「別の日本人の戦場カメラマン達からの、情報かもしれない」
のです。
右から左へ、すさまじく情報が早く流れる今の日本ですが、
「情報を得るための重み」
みたいなものを、たまには考えてみることも、大切かもしれません。