ここ数日の報道で想う、「日本社会全体における、ルール軽視の流れ」 | 大阪の片隅から「日本社会を変えたい!」と思い「こっそり」と叫ぶ。

ここ数日の報道で想う、「日本社会全体における、ルール軽視の流れ」

ここ最近、新聞には、
「偽装」「隠蔽」「不正」
などの活字が、踊っています。
また、テレビでは、
「何かの謝罪をする、大人達」
の姿も、よく見ます。
連日、こんなものばかり見て、
「日本という国は、どうなっているのだ?」
と、お怒りの方や、あきれておられる方も、大勢いることでしょう。
しかも、ここ数日の報道の共通点は、
「隠していたのに、バレた」
といった感じです。
しかし、この、
「バレなきゃ、いいのだ」
という発想は、
「日本全般に、広がっていること」
と感じるのは、私だけでしょうか?


多くのケースでは、きっと、最初は、
「黙っていれば、バレない」
ぐらいの発想だったかも、しれません。
しかし、それがいつのまにか、
「隠し事があるのが、当たり前」
になります。
企業の不正でも、
「あそこも、同じ様な事、やっているんだから」
といって業界全体に広がったりするのです。
ここ数年、よく話題になっている、
「賞味期限問題」
「耐震偽装」
などが、いい例だと、思います。
確か、私が小学生の頃は、学校で、
「悪いことは、当然悪い。
でも、隠すのは、もっと、悪い」
と、教わったのです。
しかし、今やそんな事は、通用しないのですね。


日本には、『一応』、
「法律やモラルなどの、社会的ルールが、ある『はず』」
です。
『一応』『はず』といいたくなるほど、今の日本では、
「決められているルールを、守ろうとする意識が低い」
と、思います。
確かに、皆がルールを守らなくなると、
「ルールなど、守ることが、バカバカしい」
と、思う人が増えて当然でしょう。
しかし、
「こんな時代だからこそ、あえて、ルールに、こだわってみる」
のも、必要かもしれません。
どんな、身近な事でも、いいのです。
一人で、それを始めても、
「むなしくなるだけ」
でしょう。
でも、ここは、あえて、
「社会全体が、ルール軽視だからこそ、一人から始めてみる」
ことが、大切かもしれません。
それが、いずれ、
「広がっていく」
のかも、しれないのですから。


「甘い!」
とは、わかっています。
しかし、
「一人ひとりの力を、軽視していては、社会は何も変わらない」
と、私は、思っています。
そして、今の日本は、
「『一人』の力を、軽視しすぎているのでは?」
とも、思っています。