大阪の片隅から「日本社会を変えたい!」と思い「こっそり」と叫ぶ。 -3ページ目

「インターネットが絡む犯罪増加の報道」を聞いて想う、「闇よりも大きい、光の可能性」

先ほど、見ていたNHKのニュースで、
「向精神薬リタリンが、インターネットで流通していた」
という話題を、聞きました。
そもそも、この「リタリン」という薬は、
「依存性が高く、強い覚せい作用がある」
ために、大量に服用する人が増え、問題となりました。
「医療機関が、過剰に処方していたこと」
も、問題であるようです。

それ以外に、
「インターネットでも、気軽に入手出来る」
という事も、問題になっています。

ここ最近、というか近年、
「インターネットが絡む犯罪」
という報道を、よく聞きます。
「出会い系」「闇サイト」「闇の職安」「自殺サイト」
などなど。
確かに、
「インターネットが絡む犯罪が、増えている」
のは、事実かもしれません。
犯罪以外でも、
「掲示板に、誹謗中傷が載せられる」
「子供たちの間でも、学校裏サイトが、いじめの原因」
などという話も聞きます。
これでは、まるで、
「インターネットは、悪のツール」
といったイメージです。
ただ、当然ながら、
「インターネットにも、素晴らしいことが、たくさんある」
のです。
特に、それを感じるのは、
「自分の意思や意見を、世間に自由に発信できること」
です。


昨日も記事にしました、
「亀田家問題」
が、いい例だと思います。

テレビ各局からは、
「亀田家への、総攻撃」
といった事がテーマの、
「各局とも、同じ内容、同じ意見の報道が、放送され続けている」
のです。
しかし、ネットの世界は、どうでしょう?
「色々な視点からの、色々な人の、色々な意見を、知ることが出来る」
のです。
当然、
「自分の意見も、発信することが、可能」
です。
さらに、ただ「知る」「発信する」だけでなく、
「意見を、ぶつけあうことも、可能」
なのです。
これは、今まで、
「新聞とテレビでしか、情報を得ることが出来なかった時代では、
考えられない事」
です。
インターネットの普及で、
「日本人の、情報に対する意識が、あきらかに、変わった」
と、思っています。
しかもそれは、
「いい意味で」
だと、思います。


インターネットの世界には、確かに、
「光もあるが、闇もある」
とは、思います。
(ちなみに、インターネットの「闇」ばかり強調する今のメディアは、
「インターネットの光の部分が、自分達の存在を、危うくする」
と感じている、と私は思っています。)
ただ、
「光の部分を活用することにより、日本がよりよい社会に、
なるかもしれない」
という「可能性」が、あるでしょう。
その「可能性」を、現実にするためにも、
「光の部分を、存分に活用するべき」
だと、思います。

「亀田大毅騒動」について。「非難される側、する側、ぜ~んぶ、子供が、観ています!」

ずいぶん、ご無沙汰しました。
コメントのお返事、ご訪問ともに、滞っています。
本当に、申し訳ありません。
そんな間にも、色々な事が、日本では起きていました。


ワイドショーなどで、今騒がれている「らしい」のが、
「亀田大毅」
の、話題です。
私も、テレビは見ていなかったので、詳しくは知りません。
「世間のウワサと、ネットのニュース」
でしか、知りません。
「切腹するとか、しないとか」
といった話題があるのは、なんとなく、知っています。
そんな中、
「人気お笑いコンビ『キングコング』の一人、『西野亮廣』」
がブログで、とても、いい意見を述べられているのを、知りました。


「西野亮廣」さんは、ブログの中で、
「切腹コールをした多くの観客、それと、

切腹するかどうかを質問していた記者は、間違っている」
と、述べられています。
「それを、言う時点で、亀田大毅と、同レベル」
だと、言っています。
そして、
「切腹コールをする大人を、子供が観ている」
ということを、気にしていました。


確かに、私も、
「試合に負けたら切腹するなどと、軽々しく言う事自体、問題」
だとは、思います。
ですが、負けたからといって、
「それを、面白がって、煽る大人も、どうかしている」
と、思います。
そして、「西野亮廣」さんが言われている通り、
「子供が、観ている」
のです。
「子供たちに、どんな影響を、及ぼすか」
と、考えると、
「亀田大毅も、そして、切腹を煽る大人たちも、あきらかに、悪影響」
だと、思います。


実は、今日仕事中に出合った小学生が、
「薬物取引とか、薬物疑惑」
と、面白おかしく口走っている光景を、見たのです。
子供たちは、本当に大人の姿を、よく見ています。
そして、大人の話を、よく聞いています。
そして、大人に育っていくのです。
「大人が健全な社会を育てれば、子供が健全に育つ」
のです。
ただ、
「今の日本で、大人が健全に暮らすのは、難しい」
ことは、充分理解しています。
ですが、こんな時代だからこそ、
「立派に生きる姿を、子供たちに見せてやりたい」
とも、思います。

「1円からの領収書に抵抗する政治たち」に想う、「見栄を張るのは、やめたほうが・・・」

日本人の特徴として、
「見栄っ張り」
が、上げられると思います。
この「見栄っ張り」の悪い点は、
「見た目だけ飾って、他人と競うクセに、肝心の中身がボロボロ」
であることです。
「おまえが出来るなら、俺もやる!」
といった、
「いい意味で、張り合って、成長していく」
のなら、まだ、理解できます。
しかし、これも、
「自分の身の程にも合わないことを、無理してしまう」
ことにより、
「他人に迷惑をかけたり、自分もボロボロになる」
となれば、いい事ではない、と思います。


私の彼女の親戚筋には、京都の人がいます。
歴史ある京都の人たちは、
「強烈な、見栄っ張り」
だそうです。
特に、結婚式ともなると、まず、
「どんな服装か」
で、「見栄の張り合い」が、始まります。
その後、「ウチの子自慢」が、続きます。
「いい大学に、入った」
「海外に、留学した」
「老舗和菓子屋の跡取りと、結婚した」
などなど。
でも、そんな「見栄を並べる、素晴らしく聞こえる家庭」も、
「内面は、ボロボロ」
だと、私の彼女は、見透かしています。
私も、そんな話を聞くたび、
「なぜ、日本人は、無理な事ばかり、するのだろう?」
と、不思議に思います。


長い前フリが続きましたが、今日言いたいのは、
「政治家の皆様の、見栄っ張り」
についてです。
どうやら、以前から議論されていた、
「政治資金の支出領収書を、1円から」
という案が、決まる「かも」しれない、というニュースを聞きました。
私からすれば、
「公人である政治家が、全てのお金の流れを、はっきりするのが、当たり前」
だと、思います。
しかし、政治家の方々は、
「膨大な手間がかかるから、5万円以上から」
という不思議な事を、おっしゃっています。
さらには、
「収入である政治資金の完全公開にも、反対」
しています。
支出・収入の完全公開に、反対するのは、
「やましいことが、あるから」
だと、思います。
そのくせ、
「言う事は、キレイごと」
です。
「なぜ、そんな、無理をするのか?」
と、いつも、思います。


「私は、クリーンな、政治家です」
と、言う人を、今誰が信用するでしょうか?
「どこかで、何かをしていたり、どこかと、繋がっている」
と、思うのが、普通です。

「大臣になったとたん、ボロボロ出てくる様子」

を見れば、なんとなく、わかるはずです。
そんな「クリーン」などと、くだらない「見栄を張る」ぐらいなら、
「すべて、ハッキリさせたほうが、楽」
な、はずです。

しかし、私も、
「日本の権力社会における、深い闇があるから、簡単な事では、ない」
といった事は、充分知っています。
しかし、
「あえて、政治家が、見栄を張るのをやめること」
は、
「日本人そのものに、強い影響を、与える事が、できる」
と、思います。
その影響により、今の社会における、
「キレイごとの建前ばかりで、誰かが無理をしている」
という不自然な状態が、少しでも緩和されるかもしれません。

それぐらい、
「政治家が、率先してこそ」
だと、思っています。


そんな私達も、日頃、
「ちょっとした見栄のために、無理してしまうこと」
は、多々あります。
でも、
「少しでも、素直に生きたほうが、楽」
であることも、忘れないで欲しいと思います。

「『ゆず』の『栄光の架橋』」を聴いて想う、「夢は、追いかけるもの」

昨日、某バラエティー番組に、歌手の、
「ゆず」
が、出演しているのを、「ちらり」と、見かけました。
その番組の中で、彼ら(念のため、二人組みです)が、
「栄光の架橋」
という曲を歌っていました。

3年前、NHKのアテネオリンピックのテーマソングだった曲です。

どんな曲か?といえば、
「夢を追いかける」
というイメージの曲です。
(違ってたら、すんません)。
番組内でも、「ゆず」の二人が、
「無名時代、全国でストリートライブを、していた」
という話をしていました。
ストリートライブなんて、大阪では珍しくありません。
しかし、全ての人が、成功するわけでは、ありません。
だからといって、バカバカしいことではない、と思います。
「それが、成功するか、どうかは、別にして、
夢を追いかけて、歌っている」
のです。


よく、
「あなたの、夢は、何ですか?」
と、聞かれることが、あると思います。
当然、人それぞれ、色々な答えがあります。
大きな夢、小さな夢、色々あります。
私が思うに、夢とは、
「追いかけてこそ、夢」
なのかもしれません。
私にも、夢が、あります。
でも、「ゆず」の姿と、彼らの歌を聴いていると、
「果たして、夢を追うために、どこまで頑張っているだろうか?」
と、ふと、疑問に思ってしまいました。
忙しさに甘えて、ついつい、漠然と過ごし気味の日々です。
こんな時だからこそ、
「夢を、追いかけること」
を、忘れたくないですね。


皆さんも、私以上に、お忙しい日々を、過ごされていることでしょう。
そんな時だからこそ、
「夢を、追いかけているだろうか?」
と、自分に問いかけてみてください。
「追いかけてみたら、忙しさも、楽しくなるかも」
しれませんから。

マスコミの見方について。「北の海理事長の、イメージが、作られる瞬間」

今日、職場の食堂のテレビには、
「昼のワイドショー」
が、映っていました。
話題は、例の、
「大相撲問題について」
でした。
普段、そんな番組を見る機会も、見る気もありません。
ですが、社会勉強のつもりで、見ていました。
特に、感じたのは、
「テレビって、やっぱり、恐ろしい」
ということでした。


放送されていたのは、
「北の海理事長の10月6日の記者会見」
でした。
主に、取り上げられていたのが、
「時津風親方処分について」
でした。
「相撲協会の信用、名誉を著しく失墜させたから」
と語る北の海理事長の発言を、
「抜き出して、繰り返し、放送していた」
のです。
また、記者からの、
「他の部屋における暴力指導問題については?」
との質問の答えで、
「それは、どこのこと?」
と、厳しい表情で語る北の海理事長の姿も、何度も繰り返していました。
私は、「体に悪い、早食い」なので、実質テレビを見ていたのは、
「15分程」
です。
その短い間に、
「同じ場面を、何度も繰り返し、放送していた」
のです。
まるで、これは、
「北の海理事長に対して、悪いイメージを、視聴者に持たせるため」
みたいに、見えました。


私は、今回の相撲協会の対応に、満足していません。
「歴史と伝統ゆえの、世間との感覚の差」
に、驚いています。
しかし、
「何もここまで、北の海理事長を、悪いイメージで、
放送する必要は、あるのか?」
という疑問が、あります。
テレビとは、
「動く映像で、見て理解できる、そして、影響の強いメディア」
です。
しかも、
「放送局側の意図で、映像をどうにでも作ることが出来る」
のです。
私は、今日ワイドショーを見て、
「世間の人が抱くイメージは、こうやって、作られるのか」
という典型を、見た気がしました。


私達視聴者は、
「テレビ放送を、そのまま信じるのも、信じないのも、自由」
です。
「全部、信じるな!」
とは、言いませんが、せめて、
「新聞、もしくは、ネットなどの文章による情報」
も、同時に見ることは、したほうがいい、とは、思います。
何事もそうかもしれませんが、
「一方からだけの見方を、しない」
これが、今の情報化社会での大切な事だと思います。